制作業界という言葉に振り回されない

テレビやラジオがインターネットに押されつつある今、15年前であれば違った意味を持った「業界」という言葉は意味を変えつつあります。「業界の常識」が、果たして正しいのかどうか、疑う必要があるのです。

テレビやラジオ、そして雑誌のような「メディア」は人に情報を伝える媒体として、そして人に夢や希望を与える媒体として権勢を奮っていました。「芸能界」に憧れる人が沢山いて、自分の夢にしたり、憧れにするといったことが沢山ありました。現在ではそれがないかといわれるとそういうわけではないと思うのですが、そのような「芸能人」でさえも不況に喘ぐようになってしまった昨今では、何に対して「夢」を持てばいいのかわからないといった状態になってしまったかもしれません。

私たちが日々接していた番組の数々は、私たちのトレンドを生み出し、私たちに「あした」への活力を与えてくれるものでした。日々の話題や流行はそれらのメディアから影響を受けたものが多かったのです。それらは「価値」であり、それらを「発信」する人々は最先端として誇りを持っていたはずです。

それが崩れだしたのはやはりインターネットの台頭です。まだインターネットの黎明期は良かったのです。通信速度が遅く、テキスト情報くらいしかまともに受信できない頃は、メディアにしかできないこと、伝えられないことが沢山あったのです。ですが、そうではなくなってしまいました。通信回線はどのような情報も瞬時に転送できる速度を持ち、私たちはそれらを駆使して「自分で」好きな情報を取り出せるようになってしまったのです。メディアが提供するものではなく、自分たちが得たいもの、見たいものをその時に参照できるようになってしまったのです。

それは便利なことではありますが、放送業界にとっては大打撃でした。それまでは自分たちがトレンドを創っていたのに、自分たちが最先端であったのに、インターネット上で縦横無尽にさまざまな情報が飛び交うようになってしまったのです。そのことによって「業界」として正しかったことが覆ってしまったのです。

これからの時代は、「メディアはどうあるべきなのか」ということが語られる時代です。それぞれの特性を活かして、どのような「コンテンツ」を容易したらいいのかを再度考える時代になったのです。これまでの「放送が力を持っていた時代」から、「インターネットとどう共存していくのか」というフェーズに入ったのです。さまざまな人がさまざまなものを見たいのです。さまざまなことを知りたいのです。その要望に「放送」で個別に応えることはできないのです。番組ひとつですべてのニーズを網羅することはできないのです。

時代は移り変わるものです。人の好みは変わるものです。そのような人の世の中を、「今」を、どのような番組で彩ればいいのか、それを考えることが現在では求められています。これまでの常識や、これまでの成功パターンは必要ないのです。どのようにして時代を切り開けばいいか、どのようにして細分化したニーズに応えればいいのか、その答えを知る人はまだだれもいません。なんでもすぐ調べてしまうことができる時代に、「人は何を見たいのか」ということを考えることが大切なのです。