制作マンの悩み

仕事にする以上、その「制作」という行為をやめるわけにはいきません。趣味であれば、「調子が悪いからやめておこう」ということが可能です。趣味であれば、「やりたくない」と思うときはやらずに済みます。誰にも迷惑をかけないからです。

ですが「仕事」である以上、それで食べているのです。それで生活しているのです。組織の中で番組を作っている以上、どうしてもやらなければいけないこともあります。スポンサーの意向で曲げなければいけないこともあります。それらの事情をすべて飲み込んで、日々制作を続けることが制作マンの日常です。中には「こんなことをしても数字なんかとれないぞ」ということもあります。状況と事情からやむを得ず「つまらないもの」を作ることになることもあるでしょう。

「作る」ということは一種のカタルシスです。自分の考えや嗜好をある程度込めることができます。「作ること」の爽快感を一度味わうと、それを辞めることはなかなかできません。一度制作マンになってしまうと、なかなか他の仕事にはつけないものです。そして「制作」という仕事は時間に縛られたものではないということです。自分の時間を削ってでも、作りたいものがあるものです。むしろ、創っている時間が自分の時間になってしまうものです。そのような時は、「仕事であるかどうか」などは関係なくなるものなのです。自分そのものをその対象に練り込むような感覚です。自分が自分でいられる唯一の時間と感じるかもしれません。

だからこそ、「仕事であること」に対して悩むのです。

責任を伴って制作するということは、誰かがそれに対して出資したり、誰かがそれを見て楽しむのです。「自分だけのため」に創っているわけではないということです。だから自分の理想と周囲の理想が食い違ってしまった場合は、「悩む」のです。仕事である以上、最善を尽くしたいものです。ですがその「最善」が人と自分で意見が違ったら、それは「ジレンマ」になります。モチベーションを維持することも大変です。だから話し合って解決するものなのですが、それでも平行線の場合、能率はなかなか上がらないものです。

ひとつの作品は自分だけでは作ることができません。誰かと共有して、誰かと協力して、創りあげるものです。だからこそ「悩む」のです。どのような企画が面白いのか、どのようなことをすれば人が楽しめるのか、それの答えはひとつではないから、大変なのです。それでも「自分の番組だ」と言えるためには、自分が納得できるるものを作りたいものです。

制作マンは、誰もがそのようなことで悩みます。番組制作はコミュニケーションの集大成です。出来上がったものは自分の番組であり、関わった人すべての番組でもあるのです。だからこそ「悩む」ものです。自分の感性と人の感性が集合したとき、そのときに本当のカタルシスを覚えるものなのですが、そこに至るまでは試行錯誤の連続というわけです。

作ることは素晴らしいことであると同時に、大変なことでもあります。自分の作品が世の中でどのように捉えられるか、どのように受け入れられるかも問題ですが、世の中に出せるようになるまでは「悩み」の連続なのです。