インターネットという脅威

インターネットの恐ろしい点は、「インタラクティブである」ということです。つまり、インターネットでの操作の基本が「何かを入力したりクリックしたりする」という点にあります。それは利用者が自由であることを意味しています。

利用者が自由であるということは、「好きなもの、好きなことを調べて参照することができる」ということです。テレビやラジオでは、あらかじめ放送される番組が決まっています。私たちは番組表をみて気に入るようなものだけを視聴します。ですが、どのチャンネルでも気に入る番組がない場合は、「つまらない」と感じてしまうものです。

インターネットではそれがありません。そもそも興味のないものは調べませんし、参照しません。自然とその時参照しているものは自分が見たいもの、興味があるものになるのです。そしてそれらの情報はテレビやラジオほど専門的な知識がなくても配信ができてしまうものなのです。インターネットの利用者は、情報の受け手であると同時に提供する側にもなることができます。何か面白いものを見つけたら、それを自ら発信し、「共有」することができるのです。共有することで、自分がインターネットで繋がっている人にそれを紹介することができます。

インターネットは無限の情報ライブラリであるといってもいいでしょう。そしてそれは日々更新されるものなのです。インターネットが発達する要因になったのがその通信速度でもあります。現在では有線、無線問わず回線速度が発達しているため、どのようなデータもやり取りすることができるのです。音楽や動画のデータなどというものは容量が大きいものではあるのですが、それらの情報ですら現在の通信速度であればスムーズにやり取りできるようになりました。それらのデータは「エンターテイメント」のデータであることが多いものです。私たちはそれまで映画館やテレビ、そしてCDやラジオなどでしか得ることの出来なかったエンターテイメントを、インターネットで得ることができるようになったのです。

インターネットはもはやひとつのメディアです。各家庭にテレビがあるように、むしろ一人に一台、インターネットが可能な端末があります。そしてインフラも整備されています。私たちはそれらを駆使して、自然と自分が見たい情報だけを得ているのです。

さらにはテレビやラジオは専門スタッフが創りあげるものですが、インターネット配信は誰でも行える敷居の低いものです。素人が作成した動画を共有するサイトも一台メディアとして成長しています。インターネットがテレビやラジオの電波に取って代わる時代がすぐそこまで来ているのかもしれません。その中で、いかに人をテレビやラジオなどの大きなメディアに引き戻すか、インターネットと共存していくか、それが大切なのです。私たちが一日に使える時間は限られています。つまり、インターネットに接続する時間が増えれば、その他の何かの時間を削ることになるのです。その時、真っ先に削られるのはなんでしょうか。どのような時間でしょうか。

インターネットは「放送」という業界にとっては大きな脅威であり、少しずつではありますが確実に、人の「時間」を奪っていっているのです。