視聴率の価値とは

番組の良し悪しの指標として「視聴率」というものがあります。それは「どれだけの人が見てくれたのか」という目安です。それが高いと「沢山の人が見た」ということになり、低いと「誰も見ていない」ということになります。

その視聴率ですが、それは何よりも「広告主」にとって大切なものです。広告主が番組に出資し、CMを流してもらうのは「何かを売りたいから」です。どのような企業も利潤を求めるものですが、その利潤を得るために必要なプロセスとしてCMを展開しているのです。たしかに、CMで接する商品は覚えるものです。CMだけで「買おう」と即決することは難しいものですが、それでも見ず知らずの商品よりも親しみが湧いていることは間違いありません。

沢山の人に知ってもらい、「気に入ってもらう可能性を増やす」ということが広告の大前提です。その「広告」は、文字通り「広く告げる」ものでなければいけません。広告の成否は確率です。その広告に触れた人全員がそれを気に入るなどということはないのです。数パーセントの人にしか効果がないかもしれません。ただ、広告効果があるのが数パーセントの人だけだったとしても、その「母数」、つまりその広告に接触した人の数が多ければ多いほど、好んでくれる人の数が増えるのです。

広告は確率論であり、母数を稼げば稼ぐほどに効果が期待できるものです。番組に提供するということは、この「母数」を期待しているということになります。ですから「視聴率」は広告予算を投下する上でもっとも重要な指標なのです。逆にいえば、その先にあるのは「売れたかどうか」という「結果」しかないのです。

CMを投下し、誰でも知っている、誰でも見たことがあるナショナルブランドになったとしても、実際に商品が売れていなければ事業は破綻します。事業が破綻するともちろん広告費を投下することはできません。番組に提供することも、真剣勝負なのです。その結果期待する効果が得られなければ、予算投下を決めた人の責任になるのです。

私たちが日頃から楽しんで視聴している番組は、そのような重要な「看板」であるのです。人通りの多い道の看板は高いものです。そして人がなかなか通らないような場所には、ポスターを貼っても仕方がないと考えるでしょう。広告は、接触母数が確保できてはじめて価値ができるものなのです。その「母数」をいかに確保するのかということを考えると、「良い番組」を作るということが最善になります。

あの手この手でさまざまな番組が乱立していますが、それは私たちに見てほしいからです。私たちが見れば見るほど、沢山の人が見れば見るほど、その番組の広告的価値は上がるのです。そして、その指標が視聴率です。視聴率はどれだけの人が見ているかを総体的に捉えたものです。デレビのない人も現在では多いかもしれませんが、そのようなことも加味した上で、サンプリングし、指数からどれだけの人にリーチしているのかということを計算するものです。

それが広告主の期待通りになっていれば、「良い番組」であり予算も回るのです。残酷ですが、どれだけ価値があると訴えても、人に見てもらえなければ意味がないのです。芸術ではなく、広告としての価値が必要なのです。