「裏方」の醍醐味

番組にはさまざまな人が関わります。いわゆる「タレント」などの「芸能人」といわれる人たちは「人に見られること」を仕事にしています。さまざまな番組に顔を連ねる芸能人の人々は、与えられた役割を精一杯こなす責任を負っています。

ここで取り上げる番組制作者はいわゆる「裏方」です。「裏方」は決して表に出ることはありませんし、華やかでもありません。その番組を成立させるために精一杯自分の仕事をこなすのです。生花に例えるとタレントは「花」です。番組スタッフはその花をより良く見せるために剪定したり、より良い「器」を用意したりする役割を持ちます。結果出来上がった作品には裏方であるスタッフの姿はありません。ですが取り組んだ仕事の結果として、間違いなくそこに「作ったもの」が存在しています。それを見て楽しむのが「視聴者」というわけです。

芸能人の価値はその番組で期待された役割を確実にこなすこと、さらにそれ以上の仕事を完遂することです。そしてまた次も、さらには他の番組でも呼ばれることです。さらには誰もが「この人を見たい」と考えるようになれば、番組の価値である「視聴率」に寄与することにもなります。番組はそのような表に立つ「演者」と制作者の共同作業です。その演者を活かすのがスタッフの責任であり、仕事です。

表に出ている芸能人だけでは番組は成立しません。そして裏方だけでも成立しません。題材があり、キャスティングがあり、段取りがあり、収録、放送があってはじめて、世の中に対してその番組を発信することができるのです。番組を作り上げるためには様々な役割がありますが、どれも欠けてはいけないものです。「企画」しなければその番組の構想はありません。そして台本がなければだれもその内容を理解できません。そしてカメラがなければ写すことはできませんし、マイクがなければ音声を収録できません。さらに編集しなければ収録したものは見れたものではないかもしれないのです。

それぞれの分野が突出した専門業です。どれが重要ということはなく、全てが重要で、全てが揃わなければ番組は成立しないのです。そのようなことを考えれば、「タレントが偉い」というようなことはあり得ないのです。すべてのスタッフが等しく責任を負っていて、すべての人が等しく最善を尽くす必要があるのです。そのようなことが結集した「現場」こそが、番組が誕生する瞬間であり、「全て」でもあります。私たちはそれらのことを想像こともなく、ただ番組を見て「面白い」とか「つまらない」と言っています。だから残酷なのです。ただ、それが正直な意見である以上、それがその番組の価値です。

さまざまな人が関わり、膨大な時間を費やすのです。だから「つまらない番組にしてはいけない」と誰もが考えます。誰もが「良い物にしよう」と考えるのです。そのためには手間を惜しまず、必要なことは可能な限り実現する。必要なモノは可能な限り揃えるということが行われます。表に立つ人間も裏方も、関係ないのです。世の中にひとつの作品を発信する責任を、等しく背負っているからです。それが「番組制作」の醍醐味です。裏方の醍醐味です。そうして関わった結果、自分がいたという証拠は「スタッフロール」で表示されるだけなのですが、作品としての番組は確実に残るのです。