制作予算を考える

番組を作るためには「予算」が必要です。番組に関係するすべてのことには「お金」がかかります。演者に支払う報酬、スタッフの人件費など、すべてに対して「費用」がかかるのです。

番組で「花束」を使おうとするならば、それもコストです。どこかに移動して収録しようとするならば、交通費や宿泊代もコストです。すべての事柄に対してコストがかかります。そして、それらを賄うのはスポンサーが出資している「広告費」です。そり広告費よりも多くのお金を使ってしまうと、その番組は「赤字」ということになります。

人が仕事にする以上、それらは「ビジネス」でなければいけません。さまざまな人が関わって、それぞれが報酬を得、それで生活を成立させるためには、それらの人々を賄うだけの広告収入が必要なのです。テレビやラジオなどの広告は主に広告代理店が販売をしているものです。広告主はそれらの番組が「人に沢山見てもらえそうだ」ということ、さらには自分たちが提供する商材のターゲット層が沢山見てくれそうだということを判断して「出資」するのです。

それらの広告費の総額と、番組制作にかかったコストの帳尻があってこそ、はじめて「利益」が成立するのです。収入源となる「広告費」は、もちろん沢山の人が見てくれるような番組に対しては高い値段がつきます。対して深夜などの安い番組であるのであれば、あまり高い金額の広告費を提示しても広告主は魅力を感じないでしょう。魅力が感じられなければその番組には低い金額の広告しか掲載されません。伴ってその番組ではあまり「予算」がつかないということになります。

すべての番組でのすべての「経費」は、これらの広告費から捻出されています。現在ではテレビ局が「ライツ」、つまり「権利」を持ったコンテンツなどを販売して収益を得ることも収益源のひとつではあるのですが、それはあくまでも副次的なものです。テレビ局やラジオ局などの「メディア」は、無料で放送を提供している限りこの「広告費」ですべてを賄う必要があるのです。価値ある番組、つまり沢山の人に見てもらえるような番組を制作し、広告主に出資してもらえるようにするためです。

そのようにして得られる番組にとっての「予算」は、その番組の「可能性」そのものでもあります。大物ゲストを呼ぶ場合も「コスト」がかかります。どこか外で収録したりするためにもコストがかかります。「制作」とは予算を「消化」するための行為でもあります。結果的に視聴率がよく、広告主も満足し、番組が継続されるようになれば、さらに広告費を稼ぐことができます。

無料で番組が提供されている以上、すべての制作行為にかかる費用の源流は「広告費」であり、それらを多く獲得するためには沢山の広告主から多くの広告費を獲得する必要があるのです。それらが実現できて初めて、健全な番組制作、番組運営が成り立つのです。私たちが「好んで見る」ということ自体が、その積み重ねが、その番組の価値を左右することであり、予算が使えるかどうかを左右することであるのです。

私たちはそこまで考えて番組を見ているわけではないものですが、だからこそ「広告的な価値」が問われ続けるものなのです。